クリスチャンの種


受験のシーズンです。マサイは幼稚園、高校、大学がミッション系でした。ミッションス クールとはいえ、クリスチャンの子供のみを対象としているところはほとんどありません。受験資格に生徒の信仰の有無はありませんが、入学すると聖書に基づ いた授業があります。学校生活18年のうち、半分の9年間をそういう場所で過ごしました。聖書(共同訳)も賛美歌集も教科書と一緒に買いました。

しかし子供を小さい頃からミッションスクールに入れたがる親も、子供がそのままクリスチャンになることを望んでいる人は少ないようです。そこにはどういう考えがあるのでしょうか?

まず学校を選ぶ基準として…

聖書に基づいた教育を高く評価している。道徳性を重んじる人間教育をして欲しい。

キリスト教=西洋文化=ハイソへのあこがれから(開国後の日本で、西洋の文化を受け入れ、西洋に追い付く為の手段としてキリスト教が間違って理解された後遺症)。

名の通った私立だから、ステイタスとして。(数ある私立の中からその学校を選ぶ理由はあるはずです)

確か現在の皇太子がお嫁さんを捜していた時にも、条件の中の一つに「キリスト教教育を受けた人」というのがあったと思います。

学校での聖書教育は、すぐに芽が出なくても確実に発芽するものです。

高 校2年の時、聖書の授業でアガペというあだ名の教師が聖書通読の話をしてくれました。先生は旧約の創世記から新約の黙示録まで初めて読み通した時の感動を 語ってくれたのですが、当時文学青年だったマサイは、あの分厚い聖書を全部読み通す事のすごさを思って聞いていたのです。アガペの声は実に感慨深げなもの でした。

しかしそれを聞いてから15年後、その時の声を思い出しながら(不思議とこの声が頭に残っているのです)、半年かけて初通読を果たし、その年の11月に洗礼を受けました。

伝道者の書12:1にも「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」とあります。

では何故キリスト教の教育を受けさせたいとのぞみながら、クリスチャンにしようとしないのでしょうか。

教育と生活は別。先祖や親類のことを考えると、墓のある宗教は変えられないと思っている。キリスト教は西洋のものであって、日本のものではない。

親のキリスト教に対する理解不足。クリスチャン生活(礼拝・奉仕その他)は日常社会から逸脱していると思っている。

キリストを語る異端などの活動による悪印象。

こういう考えの人たちは、お菓子の包装紙だけを喜んで眺めて、おいしい中身があることに気づかない人たちです。うわべ(見た目)だけを喜んで、本質を理解していないことになります。

本質はイエス・キリストの語った言葉にあるのです。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」ヨハネ14:6

マサイが学生生活の最後に担当教授からもらった言葉は、「無数の外界事象の深奥に働く真なるものを心眼で掴んで欲しい」でした。

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