「無限の愛−究極的な信仰のテスト!」
創世記22:1-19
by ブレイクリー マーク
綱渡りの人の話である。ナイアガ ラの滝にアメリカとカナダの間に綱を渡した。綱を渡って歩いた。駆け出して目隠しをして戻ってきた。皆は大層驚いた。次に滑車を押しながら渡って行った。 そこで彼は皆に「誰かがこの滑車に乗って私が押して行くことができますか?」と尋ねた。一人が「できる。」と言った。「本当ですか?」だが彼は乗らなかっ た。彼は100%信じきっていなかった。
神は時に信仰のテストをする。今日の箇所は神がアブラハムを信仰のテストにどのように会わせられたかである。
22:1 これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ。」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります。」と答えた。
22:2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
22:3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。
22:4 三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。
22:5 それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る。」と言った。
22:6 アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。
22:7 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク。」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」
22:8 アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。
22:9 ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。
22:10 アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。
22:11 そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム。」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」
22:12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」
22:13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。
22:14 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある。」と言い伝えられている。
22:15 それから主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、
22:16 仰せられた。「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、
22:17 わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。
22:18 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
22:19 こうして、アブラハムは、若者たちのところに戻った。彼らは立って、いっしょにベエル・シェバに行った。アブラハムはベエル・シェバに住みついた。
神はアブラハムを大変過激的な方 法でテストされた。これに従うことは簡単ではなかった。アブラハムにとっては厳しい大きな試練であった。しかし彼は躊躇なく翌日に発った。神意を考えてい ただろう。入念な準備もしている。イサクに生け贄はどこか尋ねられたアブラハムは「生け贄を神が供えて下さる。」と答えている。イサクに手をかける直前に 神から待ったをかけられる。アブラハムは自分の息子よりも神を畏れていたことが分る。驚くべきことに目をあげると一頭の雄羊が備えられていた。アブラハム は自分の息子を神に捧げたのでこのテストに合格した。再び神と契約を交わした。一つはあなたの子孫を増し加えて大変優れた国民にすること、もう一つはあな たの子孫が祝福を受けることであった。アブラハムはどんなに心が安らいだでしょう。
1.なぜ神はアブラハムに自分の息子を捧げるように言ったのか?
そのころ子どもを生け贄にする習慣があった。神はそのような習慣を好まなかった。神はアブラハムにその習慣を破らせたかった。試練というものは信仰を固めるために大きなものとなる。
ローマ人への手紙5:3−5
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
患難がその人の品性、資質を練る。アブラハムの品性、性質というものが神の願われているものである必要である。アブラハムにとっては大きな試練であったが、彼は例の滑車に乗ったということになる。
2.なぜアブラハムはそんな命令に従うことができたのか?
簡単なことではない。アブラハムは神の約束を心から信じた。これまでに5回神は現れて子孫繁栄、祝福を約束された。それを信じたかった。信じるためには何回も聞く必要がある。もしイサクが死んでも、神はイサクを行き返させると信じていた。
へブル11:17−19
11:17 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。
11:18 神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」と言われたのですが、
11:19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。
3.アブラハムこそが世界でまず初めの宣教師だった!!
神はアブラハムを最初の宣教師にした。彼の死後2000年後にイエス・キリストが現れた。
4.このいけにえこそが後のキリストの死を予示していた。
アブラハムがイサクを生け贄とし て捧げたことはキリストの十字架を予告している。私たちは罪によって死ななければならなかった。神は他の方法で救いを与えた。イエス・キリストが神の子羊 として生け贄として捧げられたということである。このイエスの贖いによって総ての国々に救いが与えられた。私たちの罪の赦しという祝福が与えられ、神との 関係が回復されたという喜びが与えられ、永遠の命を得ることができたということである。神との回復も必要である。そのためにどの宗教も生け贄が必要であ る。漢字の「義」=正しいものとされたという意味だが、羊に我と書く。羊は賛美に値するもの。下は槍、我は自分。私たちが義とされたのは羊=キリストが生 け贄として捧げられたからである。(この漢字を作った人はイエス・キリストのことを知っていたかどうかは分からないが。)この漢字は福音を伝えるために素 晴らしい。
神は総てを私たちに捧げてくれ た。神は賛美、祈り、働きだけを求めているわけではない。私たちの献身を求めておられる。神は私たちの人生総てを神に捧げることを望んでおられる。私たち のものに固執することなく、滑車に乗り込む勇気を求めておられる。神の栄誉が全地に広がることを望んでおられる。
総てを神に捧げているか?
なぜ試練を与えているか?
終わりの祈り