イザヤの召命

イザヤ書6章1〜8

西船橋エクレシア 小林智彦

先週アメリカで起きたテロ事件は、私たちに驚きと深い悲しみをもたらしました。世界中がこの事件 によって動揺し、その混乱から抜け出せないでいます。多くの行方不明者、負傷者が出ています。救出活動が現在でも続いています。このテロ事件によって負傷 された方が一日も早く癒され、また一人でも多くの人が救出されるように祈りましょう。そして、このような卑劣なテロ事件が二度と起こらないように祈りま しょう。

 

【イザヤの召命】

 

本日はイザヤ書6章から神様の御言葉を学びましょう。イザヤが預言者として、神様に召される箇所です。

 

「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に 満ち、セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、互いに呼 びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされ た。」          :イザヤ書6章1節〜4節

 

 イザヤが預言者として神に召されたのは、ウジヤ王が死んだ年であると書かれています。イザヤは なぜ、敢えて「ウジヤ王が死んだ年」と記したのでしょうか?ユダは王政を取っていました。前王が無くなれば、次の王が即位するのです。ウジヤの子はヨタム ですから、ヨタム王が「即位した年に」と書くことも出来たはずです。しかしイザヤは「ウジヤ王が死んだ年」と記しています。

 

 ウジヤ王とはどの様な王だったのでしょうか?ウジヤ王は大変優れた王であり、52年の長きに 渡ってイスラエルを治めた王でした。彼は強力な軍隊を率いて、外敵からユダの国を守ったのです。その当時、ユダ王国の回りはすべて敵に囲まれていました。 兄弟国であるイスラエルとも敵対関係にあり、エドム、アラム、ペリシテ、エジプトと敵国に囲まれておりました。そして最大の脅威はアッシリヤ王国でした。 アッシリヤは世界帝国となることを目指し、次々と隣国を攻め滅ぼして行きました。その脅威がユダにも及ぼうとしていたのです。事実、北イスラエルはこの4 年後にはアッシリヤに占領され、住民のほとんどがアッシリヤに捕虜として連れて行かれるのでした。その10年後、北イスラエル王国、イスラエルの10部族 はアッシリヤによって歴史から姿を消してしまうのです。

 

 このアッシリヤ王国の脅威が迫りつつある中、今までユダ王国を守り続けたウジヤ王が死んだのです!イザヤだけではなく、ユダ王国全体に動揺と不安が覆ったのでした。

「ウジヤ王が死んだ!若いヨタム王がアッシリヤの脅威から国を守れるのだろうか?」

 

 またウジヤ王はイザヤのいとこであると言われています。ウジヤと血がつながっている。ウジヤ王の業績(伝記)はすべてイザヤによって書かれたとあるように(第二歴代誌26:22)、ウジヤ王とイザヤは単に血のつながりだけではなく、非常に親しい関係にあったのです。信頼すべき王であり、血縁関係にあり、また親しい関係にあったウジヤ。その死はイザヤに個人的にも大きな動揺と悲しみを与えたに違いないのです。

 

 このような国家的な危機の時、私たちはどうしたら良いのでしょうか?不安におののき、先行き不透明の将来を心配するだけなのでしょうか。愛する家族、友人を失ったとき、私たちはどうすれば良いのでしょう?何処で慰めを得ることが出来るのでしょうか?

 

 イザヤはどうしたでしょうか?

 

「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に 満ち、セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、互いに呼 びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされ た。」

 

 イザヤは真っ直ぐに神殿、神の宮に来たのであります!彼は人間的な解決、人間的な慰めを求めず、ひたすら神の御顔を求めたのです。

 

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」:エレミヤ33章3節

 

 神様は「私を呼べ!」と命じておられるのです。そうすれば「答える!」とハッキリ約束されているのです。神はご自分の御顔をひたすら求め、飢え渇いた心を持って主を待ったイザヤに御自身を現したのです。

 

 アメリカで起きた痛ましいテロ事件の後、アメリカの多くの教会は緊急に集会を開きました。ロス にあるサドル・バック教会の集会をインター・ネットを通して見ました。平日の夜中であるにもかかわらず、教会堂に入りきれない程大勢の人々が、神の御顔を 求めて集まっていました。そして熱心に心を合わせて祈っていました。祈りの後、リック・ウォーレン牧師は「神は皆様とともにおられます!どんなことがあっ ても、神は皆様を離れず、ともにおられます!」との言葉をもって、励ましと信仰の確信を与えていました。

 

 そうです!皆さん、不安と動揺が国を多い、私たちの心が押しつぶされそうになっても、私たちを 導き、私たちに救いを与える神様は、決して私たちを離れることはなく、その愛は変わらないのです!祈りの心を持って、霊の目を開いて、いつもともにおられ る神様を見上げましょう。

 

 ブッシュ大統領がスピーチの中で、「テロリストは建物を壊し、揺るがすことは出来ても、私たち の心を揺るがすことは出来ない」と語っていました。さすがにアメリカの大統領だと思いました。もの凄い自信と確信です。この揺るがない確信があってこそ、 アメリカの国民も安心を取り戻せるのです。

 

 皆さん!ブッシュ大統領の確信も素晴らしいですが、どんな事態が訪れようとも微動だにしないお方が私たちとともにおられるのです!

 

『「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。』

 

 御自身はどんなことにも微動だにしないお方、そして天使達の賛美の故に全世界を揺るがせるお方 なのです!ハレルヤ!今悲しみや不安の中にいる皆さん、どうぞこの全能の神を見上げてください。天使がこの方を大声で、力の限り賛美する歌声を霊の耳で聞 いてください。この神が皆さんを愛して、その衣の裾で覆ってくださるのを見てください。私たちの心が震え、動揺し、怯えようとも、私たちを愛し包んでくだ さる神を見るならば、私たちは平安を取り戻し、慰めを受けるのです。

 

【悔い改めの恵み】

 

6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」

 

 神の御顔を仰ぎ、その麗しい姿を見ることは私たちにとっては慰めです。しかし恐ろしい一面もあ ります!神の真理の光によって自分も照らし出されるからです。イザヤでさえ「ああ。私は、もうだめだ!」と嘆くぐらいです。神様の真理の中では、どの様な ことも、罪も嘘も隠すことは出来ないのです。これは恐ろしいことです!しかし、これは素晴らしい恵みに変わるのです!

 

 皆さん!朝起きて、鏡を見ないで人前に立つことほど恐ろしいことはありません!髪は寝ぐせで そっくり返り、ひげは剃ってない、目やにはたまっている!それが大切な人の前に立つ日なら、人生を棒に振ってしまいます。朝起きて、恐くても鏡の前に立つ 方がよいのです!どう修正したらよいのか分かります。

 

 私たちも同じです!罪を隠したまま一生を過ごさないでください。私たちが地上の生涯を終えたと き、必ず誰でも神様の前に立つのです!そのとき慌てないように今から神様の前に立ち、罪を示していただき、悔い改めましょう。初めて神様の前に立ち時は恐 れます!「こんなにひどい罪人だったのか!」と。しかし、イエス様の十字架によって、罪が一つ一つ取り除かれ、浄められることを知るのなら、悔い改めるこ とは喜び以外の何ものでもないことを知るのです。

 

6:6 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。

6:7 彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」

 

 聖霊様の助けにより、日々罪を悔い改め、神様の聖さにあずかれる皆様になりますように、主の御名によって祝福します。

 

 

【主からの召命】

 

6:8 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

 

 私たちは悔い改めること、神様の方向に心を変えることによってのみ、神様に近づくことが出来るのです。神様に近くなれば近くなるほど、神様が何を語っているのか聞くことが出来ます。

 イザヤは何を聞いたのでしょうか?

「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」

 皆さんは、神様からどのような語りかけを聞いていますか?神様はイザヤや、特定の人物だけに語りかけているのではありません!私たち一人一人に語りかけてくださり、新しい人生に対する使命を与えているのです。

 今世界は不安におののいています。このような時こそ、主の愛と平安を人々に伝える皆様で

ありますように、主の御名によって祝福します。